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なぜ日本の会社は人を粗末に扱うのか?書評:未完の敗戦

はじめに

2022年に出版された山崎雅弘著『未完の敗戦』は、戦前の大日本帝国の精神文化と現代日本の社会問題の関連性を考察した本です。

本書では、太平洋戦争末期の特攻作戦から当時の上官や司令部が責任を回避する手法にはじまり、それが現代日本の企業の長時間労働や低賃金につながるという論考を展開しています。

なぜ日本の会社では社員を簡単に使い捨てにするのか、なぜ日本だとそれが許されているのか、本書は、それが戦後も続く「大日本帝国の精神文化」によるものだと看過します。

『未完の敗戦』の概要

日本の組織は、なぜ人を大切にできないのか。

日本の組織は、なぜ偉い人の言うことが絶対なのか。

日本の組織は、なぜ権力を持つ人の決定は常に正しいとされ、失敗しても責任を取らなくてもよいのか。

本書では、コロナ禍の東京オリンピックの強行や、ブラック企業の長時間労働、働きに見合わない安い給料などの令和の日本の問題が、戦争によって終わったはずの大日本帝国の考え方が、今も生き延びてしまっているためだと述べています。

太平洋戦争時の軍部は、成果の出せない作戦しか立てられない自分たちの失敗を、「若い兵士たちが自らの命を捧げて戦っていることを否定するのか」という論点をすり替える詭弁によって、責任の追及から逃れました。

敗戦によって、この大日本帝国の考え方は消えたかのように感じられます。

日本は、戦前とは違う民主主義の国になったのだと。

しかし著者の山崎氏は、日本は本当の民主主義国家にはなれていないと主張します。

戦争中と変わらずに、若い優秀な人材を使い捨てにして、権力を持つものは利益をあげながら何かしでかしても責任を取らなくてもいい社会。

それが正しいことだとされる大日本帝国の精神は、まだまだ今の日本社会に根強く残っています。

戦争の記憶と正しく向きあい、間違っていたことを認め、民主主義社会を実現するために何をするべきか、本書は問いかけています。

 

『未完の敗戦』の感想

本書を読むと、現代社会においても「大日本帝国の精神文化」が、様々な問題と関連していることが見えてきます。

責任の曖昧さ

戦前の日本では、決断した権力者や上官の戦争責任が問われないように、周囲からの圧力によって下の人間が主張したり反対したりできないような空気が醸成されていました。

前線の兵士に死ぬまで戦わせることで、若い人が死ぬまでがんばったことを否定するのか、だから効果のある作戦を考えられない上司の私は悪くない、というよく考えれば通用しない論理が通用してしまっていました。

この論理は現代でも日本社会のそこかしこに見られ、たとえ何の成果も得られない仕事や戦略であったとしても、成功するまであきらめない、努力し続けられない若手が悪いというすり替えが否定されずに残っています。

個人と組織や国家の関係

大日本帝国の精神文化では、個人は所属する組織や国家のために奉仕するものであり、個人個人の幸せのために行動することを許されません。

個人が称賛されるのは、組織や国家のために命を捧げた時だけであり、死人に口なし、たとえ不満があったとしても英霊として祀られて権力者の道具になります。

あの立派な人が死ぬまでがんばったのに、お前は何をなまけているのだ!という理屈です。

そこには、本当にその仕事で成果が出せるのか、効率が良いのか、ということは考えられず、ひたすら会社に奉仕することだけが要求されます。

まとめ

『未完の敗戦』は、戦前の大日本帝国の精神文化と現代日本の社会問題を深く考察した重要な書です。

なぜ日本の経営者や経営者のふりをした上司たちは、死ぬまで社員や部下を働かせようとするのか。

なぜ私たち日本人は、それを受け入れてしまうのか。

この不可思議な思考形態を理解するための一助に、本書はなると思います。